2007年12月27日

音楽批評の困難

ここまで、およそ半分の楽曲を「評論」してきた。

ざっと読み返してみると、はっきりいって非常にわかりづらい。

楽曲のポイントを分析・抽出して、それを刻むように書いていくというのが自然に出来上がったスタイルなのだが、文章が断片的になりすぎるきらいがある。

また、答えなどないのに答え探しをしているのではないか、と疑念を抱くこともしばしばであった。
とりわけ後期川本真琴に至っては「解釈」という姿勢自体に再検討が必要になってきそうだ。


さて、予想していたことではあるが、歌詞以外の要素の扱いは困難を極めた。

その第一の理由は「論じるための用語や理論を知らない」に尽きる。
が、そもそもこのブログは一般的な音楽批評に対するアンチテーゼもあったため、あまり気にしていない。
とりわけ音楽用語を駆使してわかったような気にさせる音楽批評は、筆者がやる必要性はない。(だから、できないし。)
ただし、筆者自身は彼女の音楽に関する理論的な説明には強い関心があるので、誰かわかりやすく書いてください。。

第二の理由は、やはり語彙が少ない。
言葉によって言葉を超えたものを表現することこそ、評論の真骨頂なのだが、書くたびに己の未熟さに打ちのめされる。

とはいえ、川本真琴の歌い様への情熱はいまだ消える気配はない。
これからも辛抱強くお付き合いください。
ラベル:音楽批評
posted by 鹿鱈 睦馬 at 00:36| Comment(2) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月29日

それから

2007年2月。
『川本真琴』と『gobbledygook』を一ヶ月間リピート再生していた筆者のなかには、新しい曲を聴きたいという飢餓感が芽生え始めた。
そこで、筆者は再びPCの電源を入れ、薄暗い一人暮らしの部屋でこのハンサムな顔にディスプレイの光を反射させた。
シングル・・・。B面・・・。
禁断の世界。筆者はもう戻れないという覚悟を胸に、購入ボタンを静かにクリックした。
また『ブロッサム』もアルバム未収録であるからマストである。


3月。
ミホミホマコトのライブに行く。
なんというタイミング!(いや本当にタイミングがよかった!)
このライブについては別稿に譲る。

このライブをきっかけに、ビジュアルパフォーマンスの重要性を痛感し、
『忘れそうだった』
『ten.cut.plus』
ライブ『早退』
さらに『mihomihomakoto』
をゲッツ。


4月。
おい、試験直前だろう!という自我をよそにスコアを探し始める。
が、一番欲しい『ギター弾き語り全曲集』が絶版。ネット上では古本も含めて入手不能な状況である。
別に弾き語るわけではない。(いや、わからない。)
しかし、この全曲集、本当に全曲集なのである。(ただし、発売が2001年8月なので『ブロッサム』は未収。)
このような貴重な本が絶版というのは、日本の出版文化の退廃を示す好例といえよう。
(→復刊に賛同する情熱的な方は復刊ドットコムへ)

こうして、筆者の川本真琴生活は続くのである。

posted by 鹿鱈 睦馬 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

「批評」とはなにか?

実は4月頃、軽い気持ちで「川本真琴」評論を試みたことがある。
しかし、これが存外難しかった。

たとえば、『桜』に関して「批評」(=物事の良し悪しを論じること)しようとする。
まず、これは「解説」とは違う。
したがって発表年やセールスやタイアップ、そして「Mステ」で歌詞を忘れたとかいったエピソードは無関係である。
次に、「感想」とは違う。
したがって「俺は『桜』が好き」も無関係である。
さらに、20世紀の批評理論では「川本真琴の意図」さえも無関係である。
すなわち、『桜』というテクストだけを自閉的秩序として分析していくのが究極的な「批評」であり、これらを区別しなかったのが筆者の困難の原因であった。

次回以降、本章では再び「川本真琴」評論を試みるつもりであるが、その意図は、作曲・作詞・演奏・歌唱・容姿・キャラ・ライブすべてにおいて異能である彼女への忠誠を示すことであるため、「批評」を中心としつつも「解説」「感想」にも言及したい。

<参考>
http://www.tbs.co.jp/cdtv/
http://www007.upp.so-net.ne.jp/xzr/kawamoto/index.html
ラベル:川本真琴 批評
posted by 鹿鱈 睦馬 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

封は開かれた

数日後、二枚のアルバムが郵便受けに届いた。
『川本真琴』('97)と『gobbledygook』('01)。
これが彼女の発表したアルバムの全てである。

俺は前者のジャケットに見覚えがあった。
それもそのはず、かの『1/2』を収めたミリオンアルバムである。
もっとも、その発表当時、大学受験準備にいそしんでいた筆者は、『1/2』でさえ正面から聴いた記憶がない。

「どれどれ。」面倒なので1コーラスずつざっと聴く。

『川本真琴』では『やきそばパン』が強烈な印象を残す。
『gobbledygook』では『ギミーシェルター』が同じく強烈な印象。

そして「ううむ。。」と筆者を唸らせたのは『桜』である。
詳細は別稿に譲るが、この曲がなければ筆者は改めて他の楽曲を丁寧に聴いてみようと思わなかっただろうし、川本真琴探究はここで幕を閉じていたことは間違いなかろう。

以後半年間、筆者は文字通り川本真琴中毒に陥ることになる。

posted by 鹿鱈 睦馬 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月14日

ある夜の啓示

あれは、今年の正月のある夜のことだった。
筆者はいつものように、たゆたう思考に身を委ねていた。

そのとき「そういえば川本真琴って今何してるんだろ。」という興味がふとわいた。
筆者はむくりと起き上がるとPCの電源を入れ、薄暗い一人暮らしの部屋でこのハンサムな顔にディスプレイの光を反射させた。
ネット上のいくつかのサイトで判明したこと、それは彼女がデビューから10年を経過した現在もなお音楽活動を継続していることだった。

「ほう・・・。」筆者は軽い驚きとともに、そうはいっても最近めっきりその名を聞くことがなくなったかつてのポップスターへの哀れみを覚えた。

しかし、このときの筆者の安直な哀れみが、時を待たずして彼女への畏敬の念に変わろうとは、押入れに眠るトトロのぬいぐるみだけが知っていた。(続く)
ラベル:川本真琴
posted by 鹿鱈 睦馬 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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