2008年02月04日

『ハート』

川本真琴
★★★★☆
■『ピカピカ』B面 
■ファン人気◆◇◇ ■ライブ頻度◆◇◇

『DNA』「今まだちっちゃいけれど きっとおっきくなるよ なんで?」
『1/2』「澄んだ水のようにやわらかく 誰よりも強くなりたい」
『10分前』「こんな身体 脱ぎ捨てて あたしが新しくなる」
『桜』「あたしたち新しくなれるの?」
『ピカピカ』「もっと強い 新しい身体 欲しい 欲しい」
川本真琴は自らの身体にひたすら強さ新しさを求め続けた。
筆者はこれを“変身願望”と呼んだが、『ハート』はまさに変身への一歩を踏み出した者への讃歌である。

「足をついたらそこで 動けないような気がしてた」
急き立てられるように前に進んできた自分。
その原動力は前に進むことへの情熱よりも止まることへの恐怖に過ぎなかった。
一方、そんな自分が「ぼんやり見てた」、「『足をついたら負け』って思い切り息吸い込ん」で泳ぎだす子供達は、軽やかで泳ぐことへの喜びにあふれている。
「夕立が洗い流す」ように目覚める彼女。

「まだどっちでもないの」

足がついたわけでもなく、ゴールについたわけでもなく、
今はまだ泳いでいる途中なのだ。
「なんで身体のまんなか いろんな色に変わってくの」
「なんで身体のまんなか いろんな形に変わってくの」

キラキラと眩しい水泡のなかでスローモーションにかかったような幻想的な感覚は、泳いでいる者のみが得られるとまどいである。

「どんどん強くなれこころまで」自己暗示をかけるようなエールと、
「そんなに遠くまで泳げない」思わずもれる不安。
二つの気持ちの交錯にも関わらず、なぜか楽しくて仕方がない気分。
珍しいホーンの活躍と、
おそらく全ての曲のなかで一番のびやかに歌われているサビの高音が
その気分を思う存分に演出している。

「飛べない翼みたい」な「ちっちゃな裸のクロール」で泳ぐ「イキツギできない子供達」。
「ずっとヘタクソ」でも「ちからいっぱい」泳ぐこと。
「イルカ」になれなくても「ちからいっぱい」泳ぐこと。
それが子供達(と、そのおしり)から得た、今の彼女の気分(ハート)なのである。

ところで
プールで泳ぐ子供達に自らを投影する、というような構図はちょっと珍しい。
多くの曲は一定の“物語”を設定し表現はその世界を通じてなされるのだが、『ハート』ではそういった“物語”性が明らかに弱い。
このことが、川本真琴自身の生の叫びをかえって強く伝えている気がする。
いつもの「あたし」が登場しないことで、かえってリアルな「あたし」が浮かび上がっている気がするのである。

『ハート』の原曲は『桜』発表後のツアー用に作られた。
むやみに“作者の意図”に踏み込むことを筆者は嫌うが、『ハート』に関してはその叫びに思わず耳を傾けてしまう。



ラベル:川本真琴 ハート
posted by 鹿鱈 睦馬 at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

そして、プールならまっすぐ泳ぐべきところ、「カーブ描いて」というのが、「どっちでもない」状況から抜け出すのが容易ではないと暗示しているようでもあります。
Posted by Shira at 2013年05月20日 22:28
たしかに,そのとおりですね!
いわれてみればです。

一方で,「カーブ描いて」にはのびのびとした語感もありますよね。
Posted by 鹿鱈睦馬 at 2013年07月20日 22:44
そうですね。周囲をものともしない川本流…。
まっすぐゴールに向かうだけじゃないよ、って。

北海道にも千葉にも行けずに残念なのですが、
「川本真琴って、今、こんなんなってんの?!」
と「再発見」した人もいると思うと、なんだかうれしい気がします。
Posted by Shira at 2013年07月23日 23:11
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