2008年01月04日

『ピカピカ』

川本真琴
★★★★☆
■99年4月(25歳)■5thシングル/『gobbledygook』6曲目
■最高位6位(シングル9枚中3番目)
■ファン人気◆◇◇ ■ライブ頻度◆◆◆

技巧に裏打ちされた幻想的世界は、以降に展開される『gobbledygook』の奇妙な世界の中でも完成度が極めて高い。皮肉にもそのことが、当初多くのファンを戸惑わせたようである。
前作『桜』から1年のブランクについては議論があるが、本作の完成度の高さを見れば、98年ツアー後の9ヶ月間にはまったく無駄がなかったといってよいのではないか。


前期シングルA面にはないたゆたうようなスローテンポのなかで、伸びやかな美しい高音と、難解な音程が不思議な雰囲気を生み出している。

歌詞は難解を極める。

あえて主題を見出すとすれば“永遠なる存在のなかの限りある存在”であろうか。

“永遠なる存在”のイメージとしての「星空」や「宇宙」。
「手を伸ばし」ても届かないもの。

一方、「月の下」で「ドクンドクン」と脈打つ「悲しい」「あたしたち」は“限りある存在”。

「ピカピカ」は“限りある存在”から“永遠なる存在”に近づくための「大事なオマジナイ」なのである。
「新しいあたし」「新しい身体」「新しい明日」を「もっと」「もっと」と求めるオマジナイ。(なお「新しい傷」ともあるが、『やきそばパン』や『桜』でも認められるように、彼女にとって「傷」は次なるステップのためのポジティブな要素なのである。)

(言うまでもなく、この“変身願望”は『10分前』を始めとして『DNA』『1/2』『桜』さらに『ハート』でも歌われる問題)

もちろん主人公は“永遠なる存在”との間で本気で葛藤しているわけではない。(このあたりが前期川本真琴と異なる。)
“永遠なる存在”への接近は「祈りを継ぐように」「神話を創るように」「抱きしめ」るというような、ある種信仰的に「愛してもら」うことを通じて宿るものなのである。

決して到達はしないけれども「あと何歩って数える」態度は、一抹の悲哀はあるけれども、絶望の影はない。
こうした“ちょっとした淋しさ”は、1番Aメロでも絵画的に描かれている。

2人に必要なものは「星空」=“永遠なるもの”だけである。
なのにそれは手に入らない。
「チョコレートのサラサラ銀紙 唇にあててキスした」ようなもどかしさ。
それでも主人公は葛藤するのではなく、ただ穏やかに「君」の腕の中で夢想するのである。軽い「鞄」で「何処でも行く」ことを。


※「仲間たち」とは何者か?
「二匹に降りそそぐ」の「匹」のニュアンスから連想するに“永遠なるもの”をもつ妖精のような存在か。(例えばPVの最後に出てくるような。)




posted by 鹿鱈 睦馬 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/54099174
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。