2007年07月12日

「批評」とはなにか?

実は4月頃、軽い気持ちで「川本真琴」評論を試みたことがある。
しかし、これが存外難しかった。

たとえば、『桜』に関して「批評」(=物事の良し悪しを論じること)しようとする。
まず、これは「解説」とは違う。
したがって発表年やセールスやタイアップ、そして「Mステ」で歌詞を忘れたとかいったエピソードは無関係である。
次に、「感想」とは違う。
したがって「俺は『桜』が好き」も無関係である。
さらに、20世紀の批評理論では「川本真琴の意図」さえも無関係である。
すなわち、『桜』というテクストだけを自閉的秩序として分析していくのが究極的な「批評」であり、これらを区別しなかったのが筆者の困難の原因であった。

次回以降、本章では再び「川本真琴」評論を試みるつもりであるが、その意図は、作曲・作詞・演奏・歌唱・容姿・キャラ・ライブすべてにおいて異能である彼女への忠誠を示すことであるため、「批評」を中心としつつも「解説」「感想」にも言及したい。

<参考>
http://www.tbs.co.jp/cdtv/
http://www007.upp.so-net.ne.jp/xzr/kawamoto/index.html
ラベル:川本真琴 批評
posted by 鹿鱈 睦馬 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | いきさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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